2012年4月29日日曜日

事の始まり

春分の日、3月20日。

普通にうどんを食べた。
1時間もしないうちに激しい腹痛にみまわれた。
へその下あたり。頭痛もしてきた。吐き気も我慢が
できなくなってきた。

きっと体を温めればどうにかなると思い、シャワーを
浴びた。

ダメだ。

嘔吐が始まった。
何度となく繰り返される。

元来、病院嫌いの私は病院に行かずに具合が悪い事を
出勤中の母にメールして寝ていた。
夜になり、母が帰宅し、私の部屋に来た。

顔を見るなり「早く病院に行きなさい!」と叫ぶような
声で言った。
それでも首を縦に振らなかった。それに動けないのだ。

車で運転していく自信がまるでなかった。


母が言うには、私の顔色が尋常でないらしく、確かに
この状態は普通ではないと思ったので、自分で車を運転
して急患に行った。


病院内で問診を受け、熱をはかり、血液検査もした。
病院の人が焦り始めたような印象を受けた。

かなり危険な状況だったらしい。
ヘモグロビンという体内の血液量が2/5以下に減っていた。
貧血だったが、輸血を要するレベルの貧血だったのだ。

貧血に関しては、母は猛反対をした。
輸血に際して起こりうるトラブルを懸念していたのだ。
せめて造血剤を使ってもらえないかとも懇願していた。

造血剤は血液を作るのに時間がかかる。
私の状況では、とても追いつかないそうだ。

私も事の重大さを感じてきた。

そんなにヤバいのか。

CTスキャンやレントゲン等どこから出血をしているかの
検査が行われた。

これは深夜の出来事である。

状況はわかったので、明日外来に来るので今晩は家に帰してほしいと
話をしてみたが、病院からは「危険な患者を帰す事は医療的に間違えている」
と言われ、緊急入院となった。

文章と書くと簡単だが、入院を決意するまでは、かなりごねた。
いつ帰れるかわからない予定など入れたくなかったのだ。


深夜の入院となった。